総論3


大学の移転計画と新サークル棟

 大学が1969年5月に設置した広島大学改革委員会は、大学改革における3つの基本理念を掲げ、その実現を目指して「広い、統合されたキャンパス移転」を行うことを考えた。そして、1973年に西条が移転先として選ばれることになる。
 1976年、生活環境専門委員会は「大学改革における3つの基本理念」の第2項目、「人間形成の場(→サークル活動の保障)」実現のため、20平米のボックス120室などを含むサークル棟12,300平米案を発表した。しかし、予算の関係などにより、この案の実現は困難となった。これに対し、1979年には文化系三者(文サ連・文団連・音協)が、必要最小面積として生活環境専門委員会にサークル棟3,500平米案を質問書として提出した。
 しかし1980年、大学側は、文化系三者の3,500平米案に対し2,800平米案を回答した。これに対し文化系三者は、必要最小実質床面積として4,360平米を再計算し学生課に提出する。
 1982年には、工学部移転と共に1,060平米の第一期整備分(文化系課外活動共用施設)が完成。1985年に、文化系3者が2,984.0026平米案を再算出したが、大学側は一度提示した2800平米を譲らなかった。なお、2800平米のうち、400平米は大学会館に、300平米は体育会サークル棟に確保されることになった。

※生活環境専門委員会とは
学生、教職員の生活環境全般について話し合う審議機関。事務官、教官、学生により構成される。当時、多くの委員会があったが、学生が参加できたのはこの委員会のみとされる。議決権はない。


大学祭(1979年)にて行われた、移転についてのパネルディスカッション(「音協だより」から)

移転の本格化と芸文連、西条五者会議

 1978年、文団連は統合移転問題連絡協議委員会(統移協)を設立する(1986年廃止)。
 1982年に工学部が東広島キャンパスに移転すると、多くのサークルが「西条支部」を設置した。また、文団連は、西条の新入生に向けたサークル案内の冊子も作っていた。
 1984年、「課外活動運営に関する規程」が制定され、西条新サークル棟運営のために芸術文化課外活動共用施設連絡協議会(芸文連)が結成される。この芸文連には、五者会議のメンバーに加え、大学祭実行委員会、新聞社【原文ママ】、サークル連合には加盟していない文化芸術系のサークルが加盟していた。毎週1度、会議を行っていたようである。
 1993年、総合科学部が西条に移転すると、多くのサークルはその活動拠点・本部を西条に移した。また、芸文連が解散し、その役割は西条五者会議に引き継がれた。西条五者会議では、東千田に残るⅡサ連に代わり、大学祭実行委員会がオブザーバー参加している。
 1995年、大学の総合移転が完了すると、千田五者会議はその役目を終えた。

  
西条サークル棟の様子

文化・芸術系サークルの現状

 90年代から00年代にかけ、多くのサークルが部員不足などから廃部に追い込まれている。この中には、40年以上の歴史を持ち、教養部学友会を経験したようなサークルも含まれている。
 かつては連合組織全体での新歓行事や、球技大会、機関紙発行などを行うところが多かったが、現在ではそういったものはほとんど行われていない。また、連合組織には加盟していないが活発に活動を行っているサークルや、連合組織を離れ活動を行うサークルも多い(特にボランティア系サークルに多いように思える)。
 サークル棟については古くから不満が多く、音楽系サークルは長らく「新サークル棟建設」「利用時間延長」を訴えてきた。利用時間については土・日の利用許可、利用時間の22時30分までの延長などがあったものの、新サークル棟についてはまだめどはたっていない。また、最近では吹奏楽団や交響楽団が新サークル棟建設、利用時間延長に反対の姿勢を示しており、音楽協議会の足並みは崩れてきている。



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