学生街が広がる「西条下見」。その西条下見には1~4丁目が無い。なんでか。
住所の表し方には「住居表示」によるものと「地番」によるものの2通りがある。厳密な説明は他のところに譲るとして大まかに説明すると、「地番」とは、多くの田舎で用いられている方法で、たとえば田口の住所は『西条町田口XXXX番地』となっているように、番地を表す数字の部分が何百~何千と大きい。一方で「住居表示」は、地番で表されていたところに、新しく「洗練された住所」を付けなおしたもので、住居表示が行われている下見の住所は『西条下見X-X-X』とスマートになっている。
「下見」には「西条下見」と「西条町下見」がある。この二つの違いは何だろうか。
東広島市のホームページで公開されている「住居表示実施区域一覧」を見ると、どの地域で住居表示が行われているのかわかる。これによると、西条町下見の一部地域で平成12年から住居表示が始まり、「西条下見5~7丁目」になったということだった。つまり、「西条下見」は西条町下見のうち住居表示が実施されているところ、「西条町下見」は住居表示がされていないところということだ。
西条下見に1~4丁目が無い理由を東広島市役所に聞いた。
住居表示に関する法律によると、住居表示を導入する方法として街区法というものがある。これは市街地を道路や道路、河川などで区切って、これを街区とし、それに番号(○丁目というように)を付けていくというものである。この番号の付け方は各市町村の議会で決定される。
東広島市の丁番の付け方については、「千鳥蛇行方式」という方法をとっているとのこと。これは、西条駅に近い街区から順々に番号を付けていくという方法である。西条町下見を見てみると、下見街道をはさんで5丁目北側の地域は市街地化があまり進んでいない。平成12年に住居表示が西条町下見に実施された際も現在のような状態であり、下見街道以南の地域のみに、街区方式による住宅表示が導入されたのである。
しかし、西条町下見全体を見てみると、西条駅に近い地域は下見街道以北の地域(住居表示がまだ実施されていない地域)になる。そこで当時の市は、下見の市街地が下見街道以北にも広がる可能性を鑑み、1丁目から4丁目の丁番は導入せず、5丁目から街区をつくり、丁番をつけ始めたのである。つまり1丁目から4丁目は下見市街地が下見街道以北に広がった時のためにとってあるということになる。
市の担当者によれば、これからの下見の発展の仕方によっては、1丁目~4丁目の住居表示導入も十分ありうるとのこと。西条町下見の住宅地図に載っている不自然な丁番の並び方は、下見学生街(?)の発展によって完全なものになる、といっても過言ではないかもしれない。
マピオンの地図は、地域ごとに薄く色分けされている。これを見ると、どのあたりまで西条町下見かを知ることが出来る(こちら)。
この地図で、この色→◆(薄い緑)で示されているのが「西条町下見」、この色→◆(薄い紫)で示されているのが「西条下見」だ。西条町下見が、バイパスより東側にもかなり広がっていたというのには驚いた。
明治の市町村制施行当時には下見のあたりは「下見村」だったと思うが、当時の下見村がどのあたりまで広がっていたのか、また時間があれば調べてみたい。
2011年4月23日公開